3月11日。今年も心を込めて黙とうを捧げます。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から11年が経過します。この震災で犠牲となられた方々に対して哀悼の意を表するとともに、御冥福をお祈りし、また、被災地の復興を祈念致します。
そう、あれから11年が経ちます。平成23(2011)年3月 11日(金)14時46分18.1秒。
東日本大震災、そして津波・福島第一原子力発電所事故。
死者(関連死含む)・行方不明者は22000人以上。
この日に、あらためてまたこうして写真を見返してます。
風化なんかしていません。いつも心に宿っています。
仕事になんとか都合をつけて、被災地へ、また地元へ設けられた避難所へ、何度も通った日々を思い出します。
ここ数日、未だ双葉町福島県のことがTVニュースでよくやっています。双葉町における「警戒区域」及び「避難指示区域」の見直しが行われると。
原発事故により自治体ごと避難した双葉町。その避難所となり、臨時役場が置かれた騎西高校(廃校)が、自分の家から近くだった縁もあり、何度も支援活動を行いました。
あれからもう11年。被災者の方々は、避難した土地で新しい生活を営み、また、震災後にその移住地で産まれた子どもも多くいます。そのような状態の中、いくら故郷に戻れるようになるとはいえ、帰宅はそんなに簡単な問題ではありません。もちろん地震や津波、放射能汚染の不安だってあります。
震災直後、市街地の通りや町の中に、流されてきた船舶や家屋、瓦礫があふれ、そして原発事故の影響も定かでなかった混乱の中、福島県相馬市にボランティアにかけつけ、また、その後も、東北(主に福島県)の被災地にも何度も復興支援活動に通いました。
その頃はまだ、現在のように、誰でも気楽な感じで参加できるような災害ボランティアではなく、ボランティアセンターの体制も整わず、また、被災地では、ボランティアも放射能汚染を心配しながらの作業でした。
不安と絶望に包まれながらも、地元の方々と協力して瓦礫をかたずけ、被災者の方々といろんな話をしながら、なんとか希望を見出そうとしました。
自治体と協力して支援活動を続けた新地町。周辺の相馬や南相馬、山元町、いわき市、その時その時のニーズに合わせて、人手が必要な場所を地元の方々や自治体と相談して、ボランティアに訪れました。
むりやり仕事の休みを作って、何度も被災地で、ひたすら瓦礫をかたずけたり、復興イベントに参加したりしました。
そして、時は流れました。
でも、まだ終わっていません。いや、いつ終わるのかもわかりません。
今ではもう当たり前のように頻繁に続く大きな余震、原発の問題、仮設住宅、帰宅支援、トラウマや心のケア、風評被害、放射能汚染と除染、汚染水処理、、、例えば、未だに福島(またはその周辺)県産の農産物を輸入規制している国もいくつもあります。
まだ、真の復興への道程は遠いのかもしれません。
本当にいろんなことが元通りになる日は。
でも、これからも、少しずつでも、明日への希望を積み重ねていけたらいいな、と思います。みんなで力を合わせて、、、
あの時、どうしようもない絶望と不安と恐怖の中で、それでもみんながんばって、協力して、励まし合って、困難を乗り越えてきました。
そして、今日また、節目の日を迎え、心から思います。
昨日まで当たり前だったものが、本当は当たり前なんかじゃない、、
家も自然も平和も、そして命さえも。
そのことを、自分らは忘れずに、与えられたすべての幸せを大切にして、今この瞬間をせいいっぱい生きていかなきゃ、と思います。
最後に、あらためて、、、
今日、東日本大震災から11年を迎えます。
改めてこの震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。




