今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
昨日はお墓参りに行った。
父のお墓と一緒に、いくつかの親戚のお墓にも。
しょうじき自分は、家族とそんなにうまくやっていけてるわけじゃないけど、
少なくとも感謝はしてるし、尊敬もしてる。
家族のことを思う度、人と人がわかり合うって難しいことだなあって思う。
また、親の言動とかを見て、もしかしたら自分もこういう面があるんだろうな、って思って、
あらためて今までの自分のふるまいや失敗を振り返ってみたりもする。
亡くなった(もうずいぶん昔に)父は、戦災孤児だったので、生きていくために、自分にはわかりようもない、たくさんの苦労があっただろう。
生き方がどうとか、運命がどうとか、って甘えたこと言ってる自分にうんざりする。
今いる埼玉県は、実家が関東なので、多くの親戚が住んでいるのだが、自分の家族は、まだ自分が幼い(保育園にもいく前)頃に引っ越したし、
母方の親戚と父方の親戚があまりうまくいってなかったこととかもあり、
祖父母の記憶はあまり残っていない。(記憶力の問題か?😳)
というか、父方の本当の(血縁上の)祖父母は、もう亡くなっていたので、知らなかったりもするし。
自分はけっこう長い間、いわゆる「鍵っ子」だったので、
例えば家に祖父母がいたら、また違う人間形成をされてたんだろうなーっと思う。
家にひとりでいるのは、子どもの頃からそんなに苦でもなく、よくある妄想系のひとり遊びもしてた。
だから(?)きっとそれが想像力を育てたりもしたと思う。
また、本をめっちゃ読んだ。
もちろんそれは、今の自分にもつながってる。
読書が好きなのも相変わらずだ。
とはいえ、家にいるのが好きということではなく、友だちともよくつるみ、学校帰りにまっすぐ家に帰ってくるなんてことはなかった。
それはいつのまにか非行につながり、小学校低学年の時は補導されたりしてて、けっこうな問題児だった。
むしろその後だんだん落ち着いていったような気がする。
小学校5~6年の頃は、ほんとに毎日、友だちと遊んでた。
その頃のガキ大将(というのだろーか。まあ、グループのリーダー的なやつ)の影響で、なんだかよくわからないけど、筋トレをみんなでしてたりもした。
そしてそれはやはりその後につながった。
それまではただの図体がおっきなやつだったのが、それ相応の運動神経が育って、中学の頃とか、けっこう周りから「運動が得意」って思われる存在だった。
と、そういう昔話をしたかったわけじゃなくて、
子どもの頃の生活って、やっぱりその後にも影響するよなーって思うわけで。
自分もそのうち(いつだ?🙄)親になるわけで(むしろ年齢的は「まだなってないのか!?」なんだけど🤣)、
少なくとも、今こうやって、ごちゃごちゃ考えてる、その感覚を忘れずに、
自分本位にならないように、子育てをしなきゃなーって思う。
このままいけば、自分の子どもは、祖母と同居なわけで、
はたしてうちの親は、その孫にどういうふうに接するんだろう?って、けっこう興味津々だ。
飼ってたネコに対する態度をみてると、ものすごく感情移入しちゃうんじゃないかって気がするけど、
まあ、それもいいだろう。
親(自分のこと)が年に何回も海外に行っちゃうんで、それなりにお世話になると思うし。
なにはともあれ、いいおばあちゃんになってほしいし、
ずっと元気に長生きしてもらいたい。
そんなわけで、秋のお彼岸のお墓参り。
秋分の日が過ぎ、そういえば、いつまにやらすっかり秋らしくなった。
夜が涼しくなったのはめっちゃ嬉しい。
なんだかちょい前よりもよく眠れてるような気がする。
そーいえば、このあいだ、フィリピン人と宗教の話題になった。
というか、親しい人に、「宗教は何?」と聞かれた。
フィリピンはめっちゃゴリゴリのカトリックで、こんなに頻繁に現地に来て、人間関係もいっぱいある自分が、カトリックじゃないことの方がむしろ不思議なのかもしれない。
もしかしたら「ない」が正しい答えなのかもだけど、風習とかから考えるとやっぱ、仏教なんだろうし、
「ブッダ」だよ。と答えといた。
「でも、日本人は、神様に祈るんじゃなくて、ご先祖様に感謝して祈るんだよ。」
って。
そして昨日は、
お墓参りにいって、やっぱりご先祖様に、手を合わせてきたよ。
「いつも、いつまでも、家族の皆を、見守ってて下さい」
て、、、